柴田優呼 @ academic journalism

アカデミック・ジャーナリストの柴田優呼が、時事問題などについて語ります。

『なぜ君は総理大臣になれないのか』は教育映画だった

 書籍化された、大島新+『なぜ君』取材班『なぜ君は総理大臣になれないのか』(日本評論社、2021年) を読んだ。同名のドキュメンタリー映画の全文書き起こしと、大島新監督の対談や複数の解説記事がついている本だ。

 実はまだ映画は、見ていない。映像が伝えようとする情感や情動なるものを受け取って、それで納得してしまうのは、避けたかった。活字だけを読んで、まず考えようと思った。

 だが映画のシナリオだけ読んで考える、というこの戦略は、当然ながら、成功であり失敗だった。一言で言うと、本を読んだだけでは、なぜ主人公の小川淳也・立憲民主党衆院議員が総理大臣になるべきなのか、よくわからなかったからだ。選挙や党内のごたごたの話は出て来ても、具体的な政策の話はなく、そもそも国会議員である彼が毎日何をしているのか、映像抜きではよくわからなかったので、判断のしようがない。

 総理大臣になるべき人、という根拠が、登場人物の言葉で語られる小川氏の資質や性格であるなら、それは正直、一読者の自分には、事実であるかどうか確かめようがない。おそらく画面の映像を通じて、観客として直観的に感じ取るべきものなのだろう。

 だがそのような形で説得されたくなかった私は、実際そのような形では説得されなかったわけで、その意味では私の目論見は、成功と言えるだろう。同時に、映画という表現形態において、映像という最も重要な情報抜きで、主題を考えようとするのだから、十分な理解という点で失敗に終わるのは、火を見るよりも明らかだった (映画を見ての感想は、また書くつもり)。

 本から感じた限りでは、この映画は、政治家としての人生を送っている小川氏の「人」としての側面に、接近しようとしているようだった。ならばそれが総理大臣としての資質に、どれだけ重要なのか、もう少し注釈がほしかった。もちろん「人」として共感できる政治家であることは大事だが、総理大臣として必要なものがそれだけではないことは、大島監督も承知の上だろう。

 そのように、この映画には余白が多い。つまり、出て来る話や語られることが限られている (次作『香川1区』でその辺りは補われるのだろうか)。

 ただ、この映画で最も秀逸な点は、『なぜ君は総理大臣になれないのか』という、大上段に構えたこのタイトルにある。さらに言うならば、なぜ総理大臣になれないのか、その理由が簡単にはわからないという、タイトルと中身の落差にある。その間を埋めるのは、観客または読者が自分の手で行わなければならない。そうした挑発的な仕掛けを備えた、極めて教育的な映画なのだ。

 「確かにそうだ、なぜ特定の政治家しか総理大臣になれないのだろう」という質問を受け手の頭に植え付け、この映画を繰り返し見たり、この本のページをめくってみたり、他の関連情報や分析、論考に接して考えさせる訴求力が、この映画にはある (ちなみに、この本の対談や解説記事は、とても役に立つ)。

 現に私も、本を買い、読み、こうしてブログ記事まで書いているほど、このタイトルに動かされたのだ。

 この映画でもう1つ秀逸な点は、地方選出の野党議員に焦点を当てたことだ。彼らが何をしているか、私たちは考えたことがあっただろうか。というかそもそも、彼らのことをよく知る機会はあっただろうか。

 与党自民党の大物政治家や派閥の動向を中心とした政局報道こそ、政治報道の定型としてきた大手メディアが、これまで報道してこなかったこと。でも日本の政治の仕組みを知る上で、一般の野党議員が何をしているかも、私は知りたい。自分の一票の投票先を考えるために、必要な情報だから。

 政治動向の大局を伝える政局報道だけでは、そのために必要な情報は得られない。有権者にとって、何が本当に必要な情報なのか。今回の自民党総裁選の広報ぶりにも見られるように、その点について大いに勘違いしている大手メディアに対する、頂門の一針のような映画でもあるのだ。

 

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