政権交代に必要なこと、それは野党がちゃんと政権を運営してくれるという信頼感を、有権者が持てるかどうか。中島岳志・保坂展人『こんな政権なら乗れる』(朝日新書、2021年) はそう説く。
では、その政権運営能力とは何か。それはプラクティカル・ナレッジ (実践的な知) があること。
具体的には、
1、連立した場合、協力する少数政党とちゃんとつきあえる。
2、徐々に変化をもたらし、既存の体制側の警戒心を解く (支持者も、ある種の政治リテラシー、つまり政治の現実的理解が必要。政権交代したら一夜にして多くが変わるような、非現実的で過大な期待はやめなければならない)。
3、今あるもの (施設、人、法律、制度) を利用して、新しい政策を進める。
なんだか、あまりエキサイティングに聞こえない。でもそれがプラクティカル・ナレッジの、プラクティカル・ナレッジたる所以。
なぜこのプラクティカル・ナレッジが重要か。テクニカル・ナレッジ (技術的な知) というもう1つの概念を持ち出して、中島氏は説明する。テクニカル・ナレッジとは、ここでは政策立案能力のこと。
つまり、野党がいくら自分たち独自の政策、即ちテクニカル・ナレッジを示しても、その政策を実行する能力がある、即ちプラクティカル・ナレッジもあることを有権者に納得させないと、十分でない、ということ。野党が見過ごしているのは、そこなのだ。
そこで本書が、プラクティカル・ナレッジとテクニカル・ナレッジを併せ持った具体例として提示するのが、世田谷区長の保坂氏による政策の進め方。「リベラル保守」と中島氏が呼ぶ保坂氏は、元々野党出身。10代の頃から学校制度の批判を提起し、教育問題のジャーナリストまた市民運動の担い手として活躍。
政治家に転身後は、1996年の自社さきがけ連立政権で、政権与党の一端を担う経験をした。今は世田谷区長として3期11年の実績を積み、地元の保守層からも支持を集める。
保坂氏は、中島氏が提唱する「野党性と与党性の融合」の具現化でもある。その「政権運営能力」は、目の覚めるようなものと言うより、自身の手堅い「相場観」に基づく。
例えば保坂氏は、初年度に変えるのは全体の5%でいいと言う。そのぐらいなら、「これから一体何が起こるか」と慄いていた人たちもついていける。そして5%でも毎年続ければ、やがて2割3割となる。そうしてもたらされる変化は、小さいものではない。
そのような保坂氏の経験値に即して、上記1、2、3をもう一度言い換えると、次のようなことになる。
1は、意見が異なる政党ともうまく合意形成ができること。
2は、現実的に、確実に物事を進めること。
3は、官僚をうまく使い、反対派の人々を安心させ、政策作りに巻き込むことができること。
こうしたことができる政権、「こんな政権なら乗れる」というわけだ。
「やりたいことと・出来ることは峻別しなければいけません。一歩一歩時間をかけながら、螺旋階段を上っていくようにやっていかなければ、現実を変えることはできません」と保坂氏。
ううむ、これは人生訓ではないか。人生を生きる知恵ですね。それは国家という数多の人々が集まる場における、政治の本質、政治の要諦でもあるということか。
ここで思うのは、与党がこれまで政権を保ってきたのは、このプラクティカル・ナレッジ (実践的な知) があると見なされてきたからではないか。しかしそれが今、とても危うく見える。
その背景には、国会を開いて野党と議論をせず、記者会見でも質問に十分答えず、合意形成をしようという意思が、今の与党には見えないことがある。さらに、霞ヶ関を人事でがんじがらめにし、本来あるべき力を削いでいる。 その結果、コロナ対策は後手後手に回り、科学的で合理的なやり方ではなく、場当たり的で希望的観測に基づいたものになっている。なのに国民に十分な説明もなく、要請ばかり。これでは不満と不安が渦巻くのは当然だ。
つまり、政権運営能力に疑問符がつけられているのは、与党も同じなのだ。
なおタイトルの『こんな政権なら乗れる』と呼応した本書の要点は、第一章にある。惜しむらくは第二章以降は繰り返しが多くて、頭の中がぐるぐるしてくること。ただ第三章は、政策のヒントが詰まっている。地域サービス、空き家対策、待機児童、子育て支援、産後ケア、不登校児ケア、LGBTQの権利保護などの具体的な立案とその実現の方法を知るのに、役立つ。