柴田優呼 @ academic journalism

アカデミック・ジャーナリストの柴田優呼が、時事問題などについて語ります。

政治家を自分のために使うススメ

 大井赤亥 (あかい) 『武器としての政治思想——リベラル・左派ポピュリズム・公正なグローバリズム』(青土社、2021年)を読んだ。野党の衆院選立候補予定者の書いた本だが、政治的スローガンや政策のてんこもりではなく、90年代以降 (つまり冷戦崩壊以降、日本の文脈だと55年体制の崩壊以降) の日本政治の動向を整理したものだ。

 著者は元々政治学者で、自分の研究内容を書いているので、分析的になるのは当然のこと。でも本人は今、政治家に転じようとしているということで、ある種の affect のようなものが伝わってくるのが、いわゆる研究者本との、大きな違い。

 ただ一番面白かったのはそうした政治動向の分析より、選挙準備をする中で感じたことが書かれた最終章。

 有権者から見た選挙ではなく、被選挙人から見た選挙、というものを知る機会はあまりないから、というのもある。でもそもそも、政治や選挙、政治家と関わること自体があまりないからだろう。政治家と一般市民が接触した時、どんな風になるのか、知る機会などほとんどない。

 著者はコロナで打撃を受けた飲食店や理髪店など、選挙区にある自営業者の店をあいさつ回りする。こうした時「温かく」迎えてくれるのは、商工会の会長とか地域の拠点となっている中小企業の経営者など、年配の保守層。まだ当選するかどうかもわからない野党の候補者でも、いつか何かの役に立つ時も来るかもという思惑から、普通に接してくれる。

 「自民党をキープしながら、何かあった時の『保険』として一応、旧民主党系野党にも『話を聞いておく』といったスタンスで、率直にいって『政治の使い方』を熟知する卓越した有権者と感じる。こういう有権者に政治家は鍛えられるのだろう」と著者は書く。

 一方で、その対極にあるのが、著者と同じ30代以下の事業主や大学生たち。ナチュラルな感覚を前面に出し、創作料理を提供するといった店づくりをしている人たちだ。著者が立候補予定だと言っただけで、これ以上関わるととんでもないことになる、といった態度になる。お引き取り願います、と強く拒否される。

 「若い世代にとって、政治は話してはいけないもの、関わってはいけないもの。『政治』が自分の領域に入ってくるのは困る。自分がどこかの『政党』とつきあうとマズイ」のだ、というのが著者の観察結果。

 わかるような気がする。政治家や候補者に訪問されるということに慣れてないから、対応に困るというのもあるし、首を突っ込むと、なんだか厄介ごとに足を踏み入れるような気がする。

 政治は特定の人たちがやるもの、政治は、底知れぬ利権の沼にズブズブと入っていくような感じがする怖いもの、なのだ。

 だが著者は「たかが政治」と思ってほしいという。「まずは自らの利益を判断基準とし、自分の得になるように政治家を使ってみる」ことを勧める。例えば大学生なら、奨学金を拡充する施策の実現を与野党双方の政治家に求め、互いに競わせるといい、と提案する。

 これを読んで思ったのが、非正規で働く単身女性は政治家にもっと直接的に、自分たちの所得の向上を働きかけていくべきだということだ。コロナ下で最も苦しんでいる層の一つ。

 なのに、女性はいつも後回しにされてきた。そしてそれが当然のように思い込まされてきた。

 社会でも家庭でも、女性には常にケアテイカーとしての役割が求められてきた。その結果、他人 (だいたい男性) を優先し、自分は二の次にすることが社会規範になって、女性たちの心を縛っている。政治家に直接要求する、といった「大それた」ことは当然、頭に浮かんだこともない。

 ということで、私の中でちょっと政治への回路がつながったところで、最後に著者へのお願い。

 この本には、女性に対する視点がほぼない。著者が想定している有権者は、ほとんど男性のことであるように思える。政治にずっと後回しにされてきた女性たちの置かれている状況をもっと学び、社会的な縛りのため、彼女たちがなかなか出せないでいる声を、積極的に聞き取ることを、求めたい。

 それにしても、みんな税金を払っているのに、確かにおじさんにだけ政治家を使わせるのは、もったいないよね。

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