柴田優呼@academic journalism

アカデミック・ジャーナリストの柴田優呼が、時事問題について、エッセイを書きます。

福田財務省事務次官のセクハラ発言と、#MeToo運動はどう関係するか

辞任してなお、福田淳一財務省事務次官は、テレビ朝日の女性記者に対するセクハラを否定している。公表された会話の録音は「一部でしかない」と主張する。 

だが一部しか明らかになっていなくても、公表部分を分析するだけでも、たくさんのことがわかる。 

今回、二人の会話の流れを見ると、女性記者に追及されて、それをかわそうとする場面で、福田次官は、胸を触っていいか、などのセクハラ発言を頻繁に行っている。 

政治というパブリックな領域の話をしている場面で突然、相手の意に反して性と言うプライベートな領域の問いかけをすること。そして嫌がる相手に、返答を求めること。 

これだけ取っても、明らかにハラスメント行為である。 

情報提供を求める現場の記者と、それを与える側の財務省トップ、という明白な力関係の差が背景にある。 

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だが例え、相手の同意の上でこうした会話をしていたとしても、それは公正ではない。 

福田次官は女性が接客する店で「言葉遊び」を楽しむことがあったと語ったが、その女性が意に介さなかったとしても、なおかつ会話の内容を了解していたとしても、それでも胸を触っていいか、というようなことを、こうした環境下で相手の女性に言っていたとしたら、問題である。 

女性が接客する店で、そうした会話が成り立つこと自体が、歴史的に行われてきた男性による重層的な女性支配の結果であるからだ。 

イギリスの政治学者キャロル・ピートマンが1988年、『The Sexual Contract』で指摘したことだが、男性は歴史的に、女性の身体に自由にアクセスできる権力を行使してきた。 

www.sup.org

ピートマンによると、その最たるものは買春行為だ。買春は、女性の身体にアクセスする「男性の権利」の行使を制度的に保証する。彼女の議論は、その後の北米のジェンダー思想の発展に大きな影響を与えた。 

胸を触っていいか、という福田次官の発言は、この男性優位の力関係を背景に、女性の身体に対するこのゆがんだ権力を行使するぞ、という通告とみなせる。 

会話の内容がパブリックなものであろうがプライベートなものであろうが、相手が女性である限り、こうした男性の権力にいつでも従属させることができる、と示唆しているのである。 

接客している女性との「言葉遊び」も、こうした力関係の存在を前提に行われている。女性が逆にそれをちゃかして返したとしても、全体としてこの力関係を是認し維持するものになっていることに変わりはない。 

こうした場面で男性が手に入れたいのは、必ずしも女性の身体ではない。女性を自分の支配下に置き、非対称、不平等な関係の中で、優越感を抱きたいのである。

例えパートナー間の会話でも、もしこうしたいびつな力関係を背景にしていた場合は、例外にはならない。

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それにしても、女性だからといって、どうしてこのような男性の一方的な支配欲の対象にならなければならないのか。アメリカを中心に高まっている#MeToo運動は、こうした理不尽で屈辱的な経験をさせられてきた女性たちの告発の動きだ。 

長年沈黙を強いられてきた女性たちの「もう黙っていない、そんな理不尽で暴力的な扱いにはNoと言う」という決意表明を意味している。 

多くの女性は少女の頃から、男性に性的対象としてみられるという間接的な暴力を経験する。まだ無力な幼少期から、それに対して一人で対処することを求められてきた。 

対応に失敗して被害に遭い、批判されるのも被害者である彼女自身だ。 

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今回のテレビ朝日の女性記者にしても、パブリックの場でプロフェッショナルに活動しているのに、女性であることを理由に突然、男性である福田次官からこのような扱いを受け、それを甘受することを求められてきたわけで、人としての尊厳と、職業人としてのプライドを深く傷つけられたことだろう。 

福田次官のセクハラ発言も#MeToo運動も、実際には、こうした女性の窮状に無自覚な、またはそれを利己的に利用しようとする男性の問題なのである。 

男性が女性を支配するのではなく、女性と並走する気があるなら、そうした理不尽で不公正なことを女性に強いる社会に、男性自身がNoと言うべきだ。 

© 柴田優呼 

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